「お、香奈ちゃん、いらっしゃーい」

店に入るや否や自分の名前を呼ばれて目を丸くしてマスターのほうを向いた。マスターはというと「ん?」といったような表情をしてにこやかに微笑んでいる。どうやら相当機嫌がいいらしい。けれど私にはものすごく疑問に思うことがあった。

「あれ?マスターに私の名前言ったことありましたっけ?」

疑問をそのまま投げかけると、マスターは「あ、そっか」と言うと

「前に太助に名前聞かれて答えたでしょう?あ、太助ってアイツのことです」

と続けながら、一番窓際の日の差し込む席に座って器用にマグカップで何かを飲んでいるん猫のほうをアゴで指した。彼に何度名前を聞いても「名前はまだない」なんて答えてたのに、ちゃんと「太助」という名前があったなんて初耳だ。たしかに太助ちゃん(次からはそう呼ぼうと決めた)には「おぬし名はなんと言う?」と聞かれて答えた記憶があった。太助ちゃんに言うとマスターにも伝わるということか。

「でもどうしたんですか、マスター?今日はやたらとごきげんじゃないですか」

私の質問にマスターはさらに口元をあげた。

「わかりますか?あはは、こりゃあかんな。いつもクールが売りやのに。んふふ。これ、何かわかりますか?」

そういうとマスターはカウンターの下から小瓶を取り出した。中にはコーヒー豆のような粒がいくつか詰まっていた。

「なんですか?コーヒー豆みたいな感じですけど」

「そう思うでしょ?そりゃココ、カフェやからね、コーヒー豆みたいに見えるかもしれんけど、ちょっとちゃうんですよ。こんなふうにして、ほら、覗いてみてくれます?」

マスターは小瓶の周りが暗くなるように両手で包み込み、指の隙間から私に中を覗かせた。

「あ…。光ってる…」

驚いてマスターのほうを見ると嬉しそうに口元をあげて微笑むいつものマスターの顔があった。

「これね、星の欠片なんですよ。去年手に入れられへんかったから今年こそって思ってたんでもう嬉しくてね」

"星の欠片"というものがあることすら知らなかった私にとってはもう驚きを通り越してわけがわからなかった。どういうルートでこんなものがマスターの手に渡ってくるんだろうか。

「しかもね、コレのすごいとこは豆挽くときにちょっとだけ混ぜてやったらコーヒーの味が格段によくなるってとこですわ。ちなみにいま、あそこで太助が嬉しそうに飲んでるのもコレが入ったやつなんですよ」

窓際で外を向いて座っていた太助ちゃんはもう飲み終わったのか、外を歩く人を眺めながら肉球を舐めていた。店に私以外の人がいないことをいいことに私は太助ちゃんに声をかけた。

「太助ちゃーん、星の欠片入りコーヒー、おいしかった?」

太助ちゃんは声を出すかわりにシッポを椅子の背もたれの上でパタパタと振ってみせた。

「香奈ちゃんは常連さんやから、特別に普通のホットの値段でええよ」

マスターももう私のために星の欠片入りコーヒーを淹れる気マンマンのようだ。

「あはは。ありがとうございます。喜んでいただきますね」

私は微笑んでそう頼んだ。小瓶から粒をひとつ取り出して、豆の中に混ぜる。暗い中で光っていないとさきほどのような星らしさは全然感じられない。

ほどなくして私の前に一杯のコーヒーが出された。

「季節限定商品"ピノキオ"ですわ、どうぞ」

ピノキオと名づけられたそのコーヒーは私が今まで口にしたどのコーヒーよりも私の口に合っているような気がした。それが星の欠片の為せる技なのだろうか。

「すっごいおいしい!でもなんで"ピノキオ"なんですか?」

私がそう聞くとマスターは「単純なことですよ」と微笑みながら太助ちゃんが飲んだ後のマグカップを回収するためにカウンターから出ていってしまった。太助ちゃんはというとコーヒーに満足したのか、マスターに「うむ」とだけ言ってそのままその席で目を閉じてしまった。

「なにが『うむ』やねん!」

マスターは苦笑いしながらもあえてその席から太助ちゃんをどかせようとはしなかった。
店の中にはピノキオの香りが溢れている。

ここは『カフェ・サンチャルネスト』。
ちょっと落ち着いた空間に、非日常が宿る場所。

To Be Continued ...