フォークにからめたパスタを口に運ぼうとした姿勢のままで、私は固まってしまった。このカフェにはいろんなお客さんが来るとマスターから聞いてはいたが、まさか目の前に山高帽をかぶったネコが座っているなんて想像の域をはるかに超えていた。重力に耐えられなくなったパスタが一本、フォークからツルリとほどけてオリーブオイルを私の顔へと飛ばした。それでふとわれに返った私は、まだフォークに絡まっているパスタをとりあえず口へと運んだ。もちろん、視線は山高帽のネコに釘付けだ。ネコはすました顔してラザニアを食べている。肉球の間に上手にフォークをはさみ、小さく分けたラザニアを口へと運んでいる。

「おぬし…」

こちらに目を向けることもなく、ネコが声をだした。客は私以外にも何組かいたのだが、あきらかに私に向けてその声は発せられていた。ほおばったラザニアを飲み込むのに予想以上に時間がかかったのか、くちゃくちゃと口を動かしながら、ゆっくりとネコがこちらのほうを向いた。その縦長の目の中に、私が映っているのがわかった。

「おぬし、ワシに何か言いたいことでもあるのか?」

日本語を話すネコが増えてきたというのは一昨日に見たニュースで話題になっていたが、全国に存在するネコのほんの一握りのみであるため、遭遇するのは非常に珍しいことだろうとたしか言っていた。が、その一握りが今、目の前にいるのだ。

「え、い、いえ、とても器用に食べ、あ、いや、言葉を話せるネコさんにお会いしたのは初めてなもので…、つい……、ご、ごめんなさい…」

私はネコを見下す発言にだけはならないように必死に言葉を選びながら答えた。ネコは何か言いたそうな表情をしたが、さっき食べたラザニアの欠片が歯に詰まっているのか、肉球で口のあたりをゴシゴシしはじめた。私はその間、どうしていいのかもわからず、ゴシゴシと肉球を動かすネコをぼんやりと見た。やがてムズムズ感がマシになったのか、ネコはまた凛々しい表情に戻って私のほうを見た。

「まぁ、よい。時におぬし、ワシを見てまず何を思うた?」

この言葉遣いはどこで覚えたものなんだろうと気になって仕方なかったが、それを聞くわけにもいかないうえに、難問を突きつけられた私はしばらく黙り込んでしまった。

「まぁ、よい。時におぬし、この店のことをどう思うておる?」

さすがはネコというべきなのだろうか、答えなくても勝手に話が変わっていく。これなら答えられると思った私は笑顔で素直に答えることにした。

「すごい好きですよ、雰囲気もいいし、マスターもいい人だし、コーヒーもおいしいし。今日久しぶりに来たけど、やっぱり大好きです」

ネコはその答えを聞くと、山高帽をかぶりなおして再びラザニアに目を向けた。そして、こちらに視線を向けないままに口を開いた。

「まぁ、よい。時におぬし、そのパスタはもう残すのか?」

そうだった。パスタを食べかけたままだったことを思い出された。

「あ、食べます食べます」

そう答えると私はネコから視線をはずし、再びパスタをフォークにからめようとした。くるくるとフォークを回して、口に運ぼうとしたとき、前方よりまた声を聞こえてきた。前を向かなくちゃいけないのかとも思ったが、とりあえずパスタを口に入れてからにしようと思った。

「まぁ、よい。ときにおぬし、んぎゅ」

よくわからない終わり方にフォークをくわえたまま私は前方に視線を送った。そこには山高帽の上からネコの頭を押さえつける店のマスターがいた。

「こら、またお前はお客さんに迷惑かけてるんか?おとなしく食べろっていつもいうてるやろ?」

ネコは急に小さくなって、目じりを下げた。

「すみませんねぇ、これ、うちのネコなんですわ。最近、何を思ったのか時代劇ばかり見てるなぁって思ったら、急にしゃべるようになってね。目を離したら勝手にお客さんに話しかけるようになってしもて…。困ったもんです。ほんま、すみませんねぇ」

マスターに首をつままれて店の奥へと連れて行かれるネコがマスターに向かって「かたじけない」と謝っていた。私はあっけにとられて何も言えないまま、手に持っていたフォークをあやうく落としそうになった。店の天井で回る換気扇の音で我に返るまでには、ゆうに1分はあったと思う。

ここは『カフェ・サンチャルネスト』。
ちょっと落ち着いた空間に、非日常が宿る場所。

To Be Continued ...